_ローマ人への手紙 2:1 欽定訳聖書 だから、人よ。あなたが人を裁くなら、あなたは弁解の余地がありません。あなたが他人を裁くことによって、自分自身を罪に定めているのです。裁くあなた自身も、同じことをしているのです。_ *垣根を破る* 弁解の余地がないと訳されているギリシャ語は、防御の余地がないという意味です。パウロが霊によって言っているのは、あなたが他の人を裁き、彼らがしていたのと同じことをするときはいつでも、あなたには防御の余地がないということです。垣根は、あなたを攻撃から守るものです。防御の余地がないということは、攻撃を受けやすいということです。あなたがどのような攻撃を受けようとも、容赦なくあなたを襲うでしょう。人が自分の人生の垣根を破る一つの方法は、他人を裁くことです。あなたが裁く席に立って他の人を裁きながら、それでも同じことをしているなら、あなたには防御の余地がなく、サタンの攻撃に乗じたことになります。だからこそ、多くの人が精神的に無防備で、裁くべきでないところで裁き、垣根を壊し、黙っているべきところで口を大きく開けて裁くのです。自分の弱点を理解している人は、他人の弱点を見ても裁かないとき、その弱点の中にさえ防御力を持っています。しかし、他人の弱点を見ても自分も同じ弱点を持っていて裁くと、防御力が壊れ、いつでも攻撃を受けやすくなります。あなたは垣根のない町のようなものです。暴徒裁判を見てください。何かを盗んだ人を捕まえて容赦なく殴る人はいつでもいます。殴打に関わった人は皆、いつか同じことをするかもしれないので、すでに無防備になっていると断言します。その行為ひとつで、悪魔の攻撃に自らをさらけ出しています。暴徒裁判に関わった人全員を研究してみてください。そうすれば、すぐに彼らも同じことをした瞬間に周囲で何かが崩壊することに気づくでしょう。なぜなら、彼らは垣根を壊し、他人を裁いた瞬間に同じことをしたからです。何も裁かない方がよいでしょう。そして、それが可能な唯一の方法は、そのようなことをする人々に常に慈悲の心を持つことです。盗んだ人を殴る代わりに、その人のために祈ったり、愛したりしてください。神は、彼らがあなたから奪ったものを回復することができます。彼らが外から奪ったものは何でも、命を奪う価値があるとは思いません。そうすることで、あなたの防御はしっかりと保たれます。神に栄光あれ。
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